1日に急性動脈瘤(りゅう)のために死去した俳優、石立鉄男さん(享年64)の通夜が2日、静岡県熱海市の成田山快長院でしめやかに営まれた。10月に出演予定だった舞台に並々ならぬ意欲を見せていた石立さんだが、明るい演技を再び見せることはできず。駆けつけた俳優座養成所時代の先輩、同僚らは故人の無念を思い、涙にくれた。またこの日、代表作で共演した女優、杉田かおる(42)や岡崎友紀(53)が追悼コメントを寄せた。
明るい人柄でだれからも愛された石立さんの通夜に、懐かしい顔がそろった。通夜は近親者のみの予定だったが、横内正(65)ら俳優座養成所時代の同僚、先輩らが出席。8年間住んだ熱海の近所の人々らも集まり、弔問客は100人に達した。
石立さんは今年10月に舞台出演が決まっていた。所属事務所「アンクルベイビー」の松川博則社長(52)が5月28日に都内で会った際、「この年だから、なんでもやるよ」と意欲を見せていたという。
俳優座養成所の同期生だった横内は「出演番組をテレビで見て、『老けたかな』と思ったけど、まだまだやる気だったんですね」と沈痛な表情。演技の道の半ばで倒れた親友の無念さを思い、肩を落とした。
仕事のかたわら、自ら雀荘を経営するほどマージャンにも没頭した石立さん。自由奔放に生きた代償として、家庭環境は複雑だった。昭和43年に結婚した女優、吉村実子(64)との間に2人の男の子をもうけたが、結婚5年目に別居し、平成11年に協議離婚が成立。それまでの約20年間で子供たちと会ったのはたったの2回だった。
喪主を務めた長男、大和(やまと)さん(35)が石立さんと最後に会ったのは平成17年だった。石立さんは離婚成立後、大和さんや二男の隼人(はやと)さん(34)は何度か会うようになったが、2年ぶりの再会は無言の対面となった。それでも大和さんは気丈に振る舞い、役目を果たしたという。
石立さんの最期を看取った50代の女性と10年ほど前から同居していたこともあり、前妻の吉村は通夜に姿を見せなかった。
遺影は、数年前に知人の結婚式で仲人をした際の、少し照れた笑顔の写真だった。棺には愛飲していたタバコ「缶ピース」、大好きだった将棋の駒、愛読書が納められた。戒名は四十九日法要の後につけられる。近親者のみの葬儀・告別式は3日午後零時半から同所で。後日、お別れの会を開く予定。
(引用元:サンスポ)
子役時代に“チー坊”を演じた女優、杉田かおるは突然の訃報に「大変ショックでした。まだお若いのでお元気に熱海で暮らしていらっしゃるのかと…」と言葉を詰まらせたそうです。石立さんのご冥福をお祈りいたします。

「スーダラ節」や映画「無責任」シリーズの大ヒットで昭和30〜40年代に一世を風靡したコメディアンで元クレージーキャッツの植木等さん(本名同じ)が27日午前10時41分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。80歳だった。植木さんは国民的スターとして映画、テレビ、舞台などで大活躍。日本の高度経済成長期に、時代を象徴する破天荒な笑いを振りまいた。故人の遺志で通夜・告別式は密葬で営まれる。喪主は長男、植木廣司(ひろし)さん。
「わかっちゃいるけどやめられない」「ハイ、それまでヨ」「お呼びでない」−。植木さんが歌ったヒット曲やギャグの数々は、老若男女を巻き込んで次から次へと流行語になった。まさしく戦後を代表するギャグマンだった。
植木さんは今年1月16日に食欲不振を訴えて入院。今月8日に一時帰宅したものの、翌日には再入院し中旬から病状が悪化したという。入院中は元メンバーの谷啓(75)ら仕事仲間が何度も見舞いに訪れた。植木さんは妻の登美子さんらに「自分に何かあったら密葬にして延命措置を行うのもやめてほしい」と語っていたという。自宅に戻った植木さんの遺体には元メンバーの谷や桜井センリ(77)が対面したが、ショックでコメントが出せる状況にないという。犬塚弘(78)は「兄貴のような人で、人間的にも素晴らしかった」と肩を落とした。
公の場に最後に姿を現したのは平成18年12月26日。元都知事で作家、タレントとしても活躍した青島幸男さん(享年74)の通夜だった。風邪のためという理由で鼻に人工呼吸器をつけて弔問したが、この頃から体調はすぐれなかったようだ。昨年11月、映画「舞妓Haaaan!!!」にゲスト出演したのが最後の仕事となった。
植木さんが看板スターだったクレージーキャッツが全国区の人気を獲得したのは、昭和36年8月に発売した「スーダラ節」(作詞・青島幸男、作曲・荻原哲晶)の大ヒットからだ。
♪チョイト一杯のつもりで飲んで いつの間にやらハシゴ酒…分っちゃいるけどやめられない ア、ホレ スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ…
平泳ぎのように手をかいてガニ股で軽快にスキップし、陽気に歌う植木さんの姿は、日本が急速に発展した高度経済成長期の空気と見事に重なった。ただ、本人は酒がまったく飲めず質素な食生活を通していたという。
東京が世界初の1000万人都市となった昭和37年には、植木さん主演のクレージーの東宝映画「ニッポン無責任時代」が公開された。威勢がよく調子のいいサラリーマン、平均(たいら・ひとし)が、ゴマをすりながらいつの間にやら社長にまで上りつめてしまうという痛快な映画。“無責任シリーズ”は人気となり46年まで続いた。
38年にはテレビのバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ、36年6月スタート)から「お呼びでない」というセリフが流行語になった。
植木さんの存在感は中年を迎えても衰えなかった。52年に舞台「王将」でシリアスな坂田三吉役に挑戦。正統派の演技が認められ、巨匠、黒澤明監督の「乱」(60年)、木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」(61年)に起用されるなど、味のある役者として“お呼び”がかかった。
クレージー結成35周年の平成2年には、23年ぶりに「紅白歌合戦」に出場し瞬間最高視聴率56.6%で歌手別トップとなるなど、平成の世でも時の人となった。
後日、お別れの会を開く予定。
■植木 等(うえき・ひとし)本名同じ。昭和2年2月25日、三重県多気郡荻原村(現、宮川村)生まれ。生家は浄土真宗常念寺。小学校3年の時に同県度会群四郷村(現、伊勢市)の三宝寺に移る。11歳の時に、東京都文京区の寺に預けられる。旧制京北中学から東洋大学専門部国漢科に進み22年に卒業。在学中からジャズバンドを転々とし、21年、刀根勝美楽団のバンドボーイ時代に盟友・ハナ肇と出会う。26年、荻原哲晶とデューク・オクテットに参加しハナと再会。32年にハナ肇とクレージーキャッツに加わる。34年、フジテレビ開局と同時に始まった「おとなの漫画」でギャグができるバンドとして知られる。36年「スーダラ節」の大ヒットで爆発的な人気を獲得。以後、時代の寵児となり多くの人々に影響を与えた。21年に夫人の登美子さんと結婚。一男三女をもうける。平成5年に紫綬褒章、11年に勲四等旭日小綬章を受章。血液型AB。
■お呼びでない当時、「シャボン玉ホリデー」は生本番で行われていたが、付き人(現タレントの小松政夫)が出番を間違え、関係のないシーンに植木さんを出してしまったことで生まれたギャグ。植木さんはアドリブで「お呼びでない? お呼びでないね。こらまた失礼いたしました」とやり、これがディレクターに大ウケ。以後、関係ないシーンに植木さんが登場しては先のセリフを吐き、出演者一同ズッコケて、画面がハラホロヒレハレと揺れる通称“お呼びギャグ”が定着した。
★国民栄誉賞授与へ
植木さんの功績を称える証しとして、国民栄誉賞が授与されることになりそうだ。同賞は総理府の管轄で「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」人物から選ばれるが、叙勲のような明確な基準はなく、時の総理大臣の意向に大きく左右される。政治評論家の有馬晴海さんは「安倍政権は7月の参院選を前に、何をしてでも支持率を上げようと必死ですから、著名人への国民栄誉賞は十分ありえます。6月には住民税などの大増税が襲う。サラリーマンが一番楽しかった時代の顔だった植木さんの受賞は、国民の気分を和らげる意味で最高の選択でしょう」と話している。
(引用元:サンスポ)
本当にこの人の与えてくれた効果は大きいですよね。心より、ご冥福をお祈りいたします。











